われもこう
 
遠藤正幸
建築との出会いは、40年前自宅を改築する時でした。方眼紙を片手に夢を書きつづけた日々限りない夢の世界がそこにありました。完成した時の感動、今でも忘れられません。今、設計事務所で32年が過ぎました。大変な時もありましたが、素晴らしい出会いもたくさんありました。感動もありました。これからもあの時の夢と情熱を持って素晴らしいスタッフと共に夢のある建物を提案して行きたいと考えます。
 
 
成川祥治
最近、個性が強くてデザインが短命と思われる建築を見掛ける。私には建築をファッション化している様に思えてならない。
かつての日本建築には「調和」があった。それは文化や時間との調和であり、普遍的な美や空間が存在していた。調和という制約の中で個性を表現していく控え目な美意識こそ私の求める美であり、建築に表現したいと願っている。
変化の激しい現代社会にあって、普遍的な美意識とはなにか、見極めたいものである。
 
 
松澤心一
一般的に「建築家」は設計者の仲にいる様に思われがちですが、私はそうは考えておりません。経験的知識の構築により空間を創造する事が建築にあるとすれば、そこに携わる全ての従業者の中に「建築家」が存在するべきだと思うからです。では「屋」や「土」と「建築家」の違いは何処にあるのか?社会性、プライド、哲学、才能等、様々なファクターはあるのだがどれも十分条件とは・・・私はそれを探すために日々精進している気がします。
 
 
田代陽介
私の考える建築家とは、豊かな感性、豊富な知識を持ち、モノ(建築)を造る上で取り巻く様々な要因を一つのカタチとして表現できる人だと思っています。また、そこには、偏りのない確固たる思想で裏付けされたものが無ければならないと思います。
私は、確固たる思想を築くため、日々の生活の様々な場で多くの人やモノに触れ感性を磨き続けたいと思っています。
 
 
稲葉 憲一
建築家としての原点は、ものづくりの「心」にあります。大地に立つ建築を、そこに「存在」する意味を深く思考し、大いなる自然に逆らわず、人間とのかかわりに配慮し一つの作品を、自らの蓄積した経験と持てる感性を注ぎ込んだ空間として現出させることにあります。心を込めた空間はそこを訪れる人間に必ず感動を呼びます。その感動を与えられることが建築家としての最大の喜びだと思います。
 
 
平柳利幸
クライアントが何を望んでいるのか想定するのは困難なことである。相手側に立って要望が充足しているか十分検討する必要がある。建築は施主との共同作業で生まれるものだけに出来るだけディスカッションをし使う側の論理で設計している。その中にも他所とは一味違う使い勝手の良い計画、そして出来上がる建築と周辺環境、自然と一体化が図れるかを重要と信じて、自然に触れる時間を大事と考え切磋琢磨している。
 
 
原田 喜代美
丹下健三さんが亡くなった。高校生の頃憧れた建築家だった。その後、村野藤吾、吉田五十八、谷口吉郎、佐藤武夫、今井兼次、堀口捨己の各氏に建築家を感じてきました。私は54才となって尚その足下にも及びません。私にとって建築家とは、人が評価することで、それに自信を持つことなのですが、先の各氏が存命であれば、この質問をしてみたい気がしています。
 
 
伊藤典男
建築家のイメージは、自分の中で昔抱いていたものと、加齢した今とでは大部考え方が違っているように思う。建築家とは、与えられた諸条件の中で、試行錯誤し、一つの調和のある空間を造る人であり、又それを通して自分をアピールし、社会貢献をしている人ではないかと思う。自ら建築家と名乗ることはないが、地域に貢献できる建築家の一人でありたいと心の中で思っている。
 
 
長坂光崇
建築設計という仕事は、依頼された建物一切に関して、最後まで責任を引き受けることであろう。建築主の立場に立ち、リードし、常によりよい建築を設計することを目指し取り組んできた。“建物”その一軒から、街並みが変わり、環境が変わり、そして社会が変わってゆく。設計とは、そうした社会的責任として重要な位置にあるのだと言えるのではないだろうか。
 
 
望月政司
建築とは、と振り返ってみると経験と感性の創造物ではないかと思う。自分の設計した建築ひとつひとつに証がある。当時の感性がその中に散りばめられている。そして様々な経験を積み重ねて行くことにより、その感性は蓄積され研ぎ澄まされていくのではないかと思う。また建築を目指し始めた頃、建築を通して社会を観ることを心がけて来た。これからは社会を通して建築を観ることを心がけて行きたいと思う。
 
 
佐野輝朗
軸は建築を秩序立てるものである。秩序立てるとは、仕事をはじめることである。軸とは一つの目的に向かっての行動の指針である。
建築においては、軸は目的を持たなければならない。秩序立てるということは、軸線の序列を定めること、すなわち目的郡の序列、意図の序列を定めることである。したがって建築家は、軸に目的を課する。その目的とは、壁(密実、感覚的感情)または光、空間(感覚的感情)である。
 
 
高木滋生
30歳位の頃、人数も少なく面接もあった旧建築家協会に入会し、協会員として恥じない作品を創り続けることを信条として生きてきた。建築家の評価も薄れつつある今、ここへ来て姉歯問題である。当人に弁解の余地はないが、一連の組織図の中では、彼は生活の為、上司の命令を忠実に守るサラリーマンだったと思われる。経済至上主義が優先し建築士を虫けらにしか扱わない組織が悪い。我々ものづくりを正当に評価する社会を期待してやまない。
 
 
高木一滋
私にとっての建築家とは、「総合芸術」「総合プロデューサー」だと思う。建築家は、画家や作曲家とは違い、施主がいて、使う人が存在する。つまりそこには、人の息吹があり、また潤いを追求しなくてはならない。私(私たちの会社)が目指すところは、決して自分の売名や奇をてらすものではなく、シンプルでありながら実に心地よい洗練された人にやさしい、そんな建物を、数多く世の中に提供していくことである。
 
 
平岡勇樹
私が思う「建築家」とは、いかにして利用者に空間を感じてもらうことができ、少なからず感動を与える空間を創造することが出来る人だと考えます。また、自分の仕事にほこりを持ち、自らの根底にある哲学を建物に表現することが出来る人であると思います。私は建築設計の仕事を始めて間もないのですが、建物(空間)を設計することで、建物に関わる人と喜びや感動を共有する。そんな仕事をしていきたいと思っています。
 
 
久保田翠
アーティストが作品を作ることと建築家が建物をデザインすることの大きな違いはその「公共性」にあると思います。建物は街を構成する大切な要素であり、それらが「群」となったときにどのような景色を作り出すかはその街の「文化度」を表すと思います。建築家は、そうした街の資質を理解し、さらにクリエートしていく人であり、控えめでしかし様々なものを包括した前衛的なアーティストであってほしいと思います。
 
 
花村芳夫
建築家として必要なものは「情熱」と「使命感」だといった人がいます。私はそれに「サービス精神」を加えたいと思います。建築の質を通して人々に楽しんでもらう心です。そして、もう一つ建築家という「家」がつく以上、どんな状況下でも「精神の自由」を持ち続ける力があることだと考えます。私には厳しい道ですがその方向に歩んで行こうと思っています。
 
 
近藤一郎 ナカノ工房一級建築士事務所
齢60才を過ぎた私に建築家像を問われても何と答えよう。たとえばある時期(たぶん40才前後)から「人の哀しさ」を実感した頃から僕は建築家を一生の仕事にするのだと確信した。時を経る毎に自分の心に明確になっていく事をならべてみよう。1.人間の尊厳を謳歌する A自然の摂理に従う 2.記憶の継承C時代の証しである 3.倫理の裏付けがある 4.ストイックであり官能的である 5.複数頭脳で1つの個性をもつ 以上を表現する作家・技術者を総括して建築家と呼ぼう。
 
 
石川哲也 ナカノ工房一級建築士事務所 
時を越えた建築が創れないだろうか?いつの時代でも、たとえ姿を変えてでも受け入れられる建築が創れないだろうか?50年100年でなく、何世紀でも…スクラップアンドビルドと言う言葉が受け入れられるこの時代だからこそ育ててみたい!施主と一緒になって、見果てぬ夢を育てたい。小さな家から、街並みへ、そして文化へと建築は姿を変える。そんな浪漫をいつも持ち続けて設計に携わりたい。目指すは建築家ミケランジェロ。
 
 
浅場由美子 ナカノ工房一級建築士事務所
真の建築家とは、建築の神様が常時スタンバイしているのだと思う。私の場合悩んで脳から膿が出そうになっても神様は来てくれない。ごくごくたまに夜中の12時頃、酒を飲んでいると降りてくる。たまにしか来てくれないので酔払いながらもスケッチをおこす。日々の精進が足らな過ぎるのかもしれない。建築家には一生涯の探求心が必要なのだから。
 
 
清 峰芳
建築の設計、監理を通しての倫理観を持つことが、重要だと思います。努力はしているのですが……。2番目には、建築を常に文化として捉える姿勢があるか、それによって、社会に貢献しているかということだと思います。いざ自分を顧みると、もう50代半ばにさしかかろうという歳なのですが、まだまだ十分とはいえず、未熟さに反省ばかりです。これを機に、もう一度胆に銘ずることとします。
 
 
古牧哲
先日、ある歴史的一大宗教都市に接する機会に恵まれ、延々と続く歴史の流れの中で、歴史の重み、建築の重みを改めて感じると共に、人と自然、人と街、人と建築との共存共生の姿、心地良い空間等体感する事が出来ました。クライアントの希望、条件に対し、いかに「答え」を提供出来るか、機能性、意匠性は元よりさらには時間の流れ、人の心の流れを意識した空間創りをも心掛け提案出来ればと考えております。
 
 
岡崎隆利
世界遺産というTV番組を毎回見ています。築何百年という建物が紹介されます。印刷技術も無くましてやCADも無い時代に技術を継承、発展していく先人たちの優れた才能、技術に関心をさせられます。文化、歴史になっています。今創られている建物は一体どのくらい使われるのだろうか、せめて100年ぐらい使われ続ける事が出来れば幸いである。又そんな意気込みで取り組んでいきたいものである。
 
 
亀山靖生
僕にとって建築家とは風景をつくる人だと思います。街中の風景や田園の風景、海辺に建つ家や市街地に建つ家、みんな風景の一部だと思います。また、玄関や居間、店舗や工場も住人や働人からみたら風景です。建物はいつも人々の目にさらされ、触られています。ですから一人一人の建築家はこれからの事を十分考えて仕事をしていく人だと思います。僕はそんな建築家になりたいと思います。
 
 
望月良昭
「私には価値がある。私には無限の英知と知恵がある。私は自分の可能性を信じる・・・私は価値のある人間だ。私はすばらしい人間だ。私は自分を愛する。私は自分を大切にする。私は自分を最高最大に生かしきることをここに誓う・・・。」師青木仁志成功の詩を人生理念と捉え、お客様の要望を誠実に聴き、多面的な創意工夫を熱心に重ね、期待以上の建物・器を提供し、喜び感謝感動を共有。
 
 
鳥居久保
今まで築き上げてきた社会システムが軒並み破錠した今、かつての価値の体系に転倒が生じている。教育システム、経済システム、情報システム、交通システム、さらにルールで固められた各種団体しかり。それぞれが完結するがゆえのシステムであるだけに、その運用だけに専心していると、社会の変質の取り込みに遅れが生じ、形骸化する。我々建築家も完結型のコンセプトで仕事をする人種であるため、その閉じられた世界の完成度だけに気を取られていると、時代そのものに追い抜かれる。建築が社会性にどう向き合うべきか。さらに社会の要請を直接的に受け入れるのではなく、社会と同調しながら、いかにして距離感を保つか。現代の建築家とはその点においてセンシティブな感覚を持つ人たちのことを言うのだと思う。
 
 
石川正子
人を惹きつける建築を建てる人が建築家だと私は思います。大学の研究室で教授の元、図書館の設計を行っていましたが、完成したとき惹きつけられるものを感じました。建築の学生として見て学ぶべきことがそこにはありました。建築は写真を見ても、映像を見ても実際のすばらしさは分かりません。そこに行って、その空間に立って体全体で感じるものだと思います。そのとき、「惹きつけられるものを感じた」場合、それは建築家の建てた建築だと私は考えます。そして、私も人を惹きつけるような建築をいつか建てることが出来るようになりたいです。
 
 
金子力千
趣味の合気道の毎日の鍛錬でつくづく思うことがあります。体をつくること、全ての意識を明確にすること。建築家も同じではないか?と感じています。意匠、技術、人間関係の全てを葉にとらわれず芯を見極め続けることが自分自身の向上にも繋がります。これで良しと思わず常に追求していくことが建築家ではないかと痛感しています。
 
 
古橋昌二 
自分の職業は、建築士であって、普段の生活の中では、一般の人と同じ目、同じ考え方で生活していると思っていた。とある時友人が言った!おまえは日々生活の中、全ての物の見方、考え方が建築家だなぁ〜と。花を見ていても、周囲のバランスと色彩を考え、街をいっしょに歩いても、会話より建物を見る。
ドラマを見ていても、主人公より背景が気になる。気が付けば、目に写る物、聞く物全てが、今 建築家になっていた。
 
 
中川純久
建築設計は、建築士のもと、意匠と構造と設備のスタッフが、ひとつのチームとして思いを共有し、様々なシュミレーションを重ねながら作り上げるものです。チーム監督の役割をするのが建築家で、良い建物といわれる物が出来上がった時は、個人の手柄ではなくチームとして評価されたのだと思います。
正解がひとつだけではない建築の世界、ひとりよがりはタブーで、チーム力を高めることが必要だと思います。
 
 
稲垣達夫
「建築家」「建築屋」「建築士」私にとってあまり重要ではない。シンプルイズベスト難しい言葉はいらない。そこに住む人、働く人、遊ぶ人の夢、希望、笑顔があれば良い。
 
 
小楠正典 
設計は敷地・周囲を見て全体のイメージを浮かべ、使い易く居心地良いPLANであり、省エネやメンテを配慮すると共にこれまでのセオリーをアレンジできる柔軟さも必要です。決して自己満足に溺れる事なく、要望以上の提案をする事は設計者である以上、当然の事だと思います。これらは語らずとも喜びの声と共に自然に光ってくるものであり、更に追求する姿勢こそが「真の建築家」であると考え、常に念頭においています。
 
 
石田明正 
自身を建築家として、物をみつめると、その物が建物であれ、植物、生物、自然現象、道具であれ、非常に多面な見方ができ、又詳細部分への興味が発展していく。又それは目に見えない部分にも想像が動いて、その様な形になった経緯へと考えが進む。建築家は技術者、芸術家、哲学者とか言われるが、他の職業例えば医師、弁護士にはない、多面な喜びのある職業だと思う。努力すれば喜びがともなう。
 
 
嶋田芳久
建築家・・・なにかすごい響きですねー。私にとって建築家像とは芸術的、工学的にも独自性を持ち草原の大木のようにその全能力を遺憾なく発揮できる人かな。また人間味も忘れない人かなと思います。建築設計の仕事に携わっている毎日ですが、工学的な範ちゅうに留まらずに遊び心も取り入れお互いに共感できる何かを提案して行きたいと思っています。
 
 
高村雄二
私は建築士です。衣食住の一翼を担い、いかにして利用する人々にとって良い建物を設計し造るかを考え生活しています。しかし建築家となると、それだけではないと思います。芸術家であれ、小説家であれ、「家」のつく人はその作品に接する人の心に感動や安らぎを与えることが出来る様な仕事をしている人と考えます。ただ、気持ちだけは建築家を目指し仕事に取り組んでいきたいと思っています。
 
 
村田隆夫
建築家・画家・医師・教師・弁護士等々あなたの職業は?と聞かれた時、「建築士」は「建築の設計士」と答えます。前述の師及び士は国家資格であるが、医家・弁護家とはよばれない。芸術家=自由業=建築家のイメージだとすればわからないでもない。ただ自分としては建築家と呼ばれる事もないし自分をそう呼ぶこともないと思う。
 
 
岡田親敬
私にとって建築家とは、使い勝手の良い住まいや施設を提供できる設計士であると考えています。傑作や名作といわれる建物を創らなくても、そこに住む人達に大変居心地が良い空間で、「とても使い易いですよ」と話しかけられた時に喜びを感じられる設計士になりたいと思います。設計出来る期間は残り少ないですが、一つでも多くその様な作品を提供できる様、努力する毎日です。
 
 
谷野守右
建物で人を感動させることが出来るのだろうか。音楽を聴いて涙が出たり、絵画を見て感動するように。現実にそういう建物に出会うことがある。歴史的な建築物であったり現代建築であったりもする。建物に掛けた思い、気持ちの良い空間、張りつめた空気などなど。そのどれ一つとってもどうしたら出来るのか、私にはまだまだ遠い課題だ。
 
 
福田光宏
顧客の要望、アフターフォローを最大限に対応できる「設計者としてのブランド」の確立を目標としています。そのためには、技術やデザイン等を磨く事はもちろんのこと、最新の情報収集とその活用、さらには良い建築資材の調達ルート(国内、海外建材メーカー)等が必要と考えます。この15年来3月に東京で行われる建築総合展示会に出向き、時代の流れに取り残されぬよう努めています。
 
 
高地一晴
「建築家」を検索すると、建築の設計や監理、その他関連業務など建築関係のプロフェッショナルサービスを提供する職業、とあります。建築は、芸術と違いクライアントがあって始めて成立するものです。あたえられた条件の中で機能・性能を最大限高める事が建築家の仕事であると考えます。時の流れを超えて、人々に愛され続ける空間を創造し設計する建築家でありたいと思います。
 
 
藤原龍美
建築家にとって建築を作るプロセスそのものではないかと考える。又作られている建築との出会い、つまりその建物が建設されいく課程のなかにあるもの、自分が紙の上で試行錯誤しながら線を一本一本引いていく時間、全てが今の自分をかたちづくっている。常に出会いを通じて運命的な結びつきを確立する。以上の事を考えると建築家とは、プロデューサの様なものである。
 
 
 
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